これまで、病院や大学に勤務していた僕の黄金週間は、どこかで必ず仕事をしてきた。それが財団に移って初めての今回は、引越しの後始末に使えている。ちょっとうれしいような、気が抜けたような、複雑な気持ちだ。全国の多くの人が、時間を持て余す一週間だから、この週間の中に「シビルサービスの日」なんていうのを制定できないだろうか。強制力を持たなくていい、頭の中で「社会貢献について考える」だけでもいいと思う。
成熟した社会には、シビルサービスというものがある。兵役とは違い、若い人が何らかの社会サービスを行うこと。若者だけでなくても、誰でも参加できる。チャリティーやボランティアが特別なことではなく、生活の中に息づく欧米の社会。広場と路地、教会と寺社の伝統の相違によるものかは定かではないが、社会参加することで社会から認められる。
人口構造的にはわが国は成熟しつつある。少子高齢化は、成熟社会の発展段階の通過点で、社会保障が一段と充実して、極端な少子化を脱しつつ、それでも人口は減少を続けて、国土や産業に対してリーズナブルな数に落ち着く。それでは「介護が成り立たない」と思う人もいるかもしれないが、今の社会の継続ではなく、すっかり欧化した社会でのことだから、適正人口で介護は十分に成立する。むしろ、そのほうが充実するのだ。
低賃金で若者を酷使しようという、現在のわが国の介護ではなく、必要な待遇を確保しつつ、社会の責任として介護を全うする仕組みの構築。それこそが、僕ら福祉を研究するものに課せられた課題だ。近づいている総選挙で、その下地を造りたい。6年前のこと、僕は民主党本部にそういう趣旨の論文を送付して、国政へのチャレンジをしようとしたことがあった。いわゆる「公募制」に応えての応募だった。そのときの論文の題名は「美しい日本の再生」だった。二代前の総理大臣も同じようなことを言ったが、一緒にしないでほしい、中身が違いすぎる。
50歳を過ぎたので、国政への意欲は持たない。デンマークの国会議員の平均年齢が45歳と聞いて、だからすばらしい国ができるんだ!と得心したことがある。45歳の人は30年後の未来、つまり自らの後期高齢期に対して、責任をもって考えることができる。そのくらいのスパンでものを考えられないといけないと思う。福祉は票になるかならないかではなく、福祉を考える人が国会議員にならないといけない。
福祉とは、人がよりよく暮らすことを支援する仕組みのこと。だから、ダムも橋も道路も学校もすべてが福祉の対象なんだ。戦闘機を買う金を介護に回せっていう種類の、わけのわからない議論ではなく、戦闘機を買うことで、国民がどのくらい安心して暮らせるのかを問いたい。その文脈からは、原爆やクラスター爆弾は作ってはいけないとわかるんだと考える。ダムを造るな!じゃなくて、造るなら「自然にやさしく」て「コストミニマム」の方法で「流域の安寧」を考えて造るのだ。田中前信州知事は、だから、その意味で正しかった。それを理解しないで、100年前の県政に戻してしまった、信州人の罪は重い。
県の特産品をアピールしまくる知事、赤字を極端に減らして見せた知事、一地域をあずかる知事はそれでいいと思う。康夫ちゃんはもっと大きな視野で、信州長野から欧化を狙っていたのだ。そう、一見、福祉とは一番かけ離れた風貌と暮らし方の、あの知事こそ、本当の地方の時代の、福祉の時代のリーダーだったと気づくときがきたらいいなぁ。
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